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第51回日本オープンゴルフ選手権(1986年)

2024.02.13
大会史上3人目の連覇を飾った中嶋常幸(アサヒゴルフより) 大会史上3人目の連覇を飾った中嶋常幸(アサヒゴルフより)

AOを2位に従え、中嶋常幸が大会史上3人目の連覇を達成

 3人合わせた勝利数は国内外で200を軽く超え、賞金王は計21回にのぼる。日本プロゴルフ界に偉大な足跡を残してきた青木功、尾崎将司、中嶋常幸のいわゆるAONがそろって日本オープンの大舞台で火花を散らしたのが1986(昭和61)年のことだった。  会場は神奈川県の戸塚カントリー倶楽部西コース(7066ヤード、パー72)。前年覇者の中嶋(当時の登録名は中島)は海...

第50回日本オープンゴルフ選手権(1985年)

2024.01.31
1985年10月14日付日刊スポーツ 1985年10月14日付日刊スポーツ

中嶋常幸が逆転勝ちで日本タイトル5冠、公式戦7冠を達成

 大会の舞台となった東名古屋CC(6390m、パー72)は、深いラフ、狭いフェアウエーの厳しいセッティングで選手を迎えた。「ラフに入れたら1打ごめんなさい」という声が漏れるほど、ショットの正確さが勝負になった。  第1日、飛び出したのは青木功だった。ここ数年、故障もあって不振をかこっていた。フェアウエーキープにため「スライスを打つんだという気持ちで必死だった...

第49回日本オープンゴルフ選手権(1984年)

2024.01.15
優勝トロフィーを掲げる上原宏一(JGAホームページより転載) 優勝トロフィーを掲げる上原宏一(JGAホームページより転載)

空振り2回で鈴木弘一が大魚を逃し、上原宏一に栄冠

 時に思ってもみなかったことが起こるのがゴルフである。そんな出来事が続発したのが1984(昭和59)年、埼玉県の嵐山カントリークラブ(6405m、パー72)開催の大会だった。  初日、想定外の裏ルート開拓で競技委員会を慌てさせたのが47歳の杉原輝雄だった。右ドッグレッグの15番パー5、杉原はティーショットを林越えで右隣の14番フェアウエーを狙った。14番を経...

第48回日本オープンゴルフ選手権(1983年)

2023.12.25
1983年10月3日付日刊スポーツ) 1983年10月3日付日刊スポーツ)

青木功が悲願の日本オープンタイトル

 青木功にとって、ついに「その時」が来た。  兵庫・六甲国際GC(6469m、パー72)で行われた大会は、フェアウエーを絞り、ラフはうねるように長くのばされていた。  第1日、このラフで中嶋常幸(当時登録名中島)が最終9番でフェアウエーをわずか2mほど外しただけでロストボールになるトリプルボギーをたたいた。倉本昌弘は最終9番で7番アイアンが根元から折れてヘッ...
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