第19回日本オープンゴルフ選手権(1954年) 2022.10.03 1954年9月30日付報知新聞 林由郎が4年ぶりの大会2勝目 東京ゴルフ倶楽部は日本で初めて日本人の手によってつくられたゴルフ倶楽部である。最初は東京・駒沢にコースを構えた。その後、朝霞(埼玉県)を経て現在の埼玉県狭山市に移転。1954(昭和29)年、狭山移転後初めてとなる日本オープンが行われた。東京ゴルフ倶楽部としては4回目(駒沢1回、朝霞2回)の日本オープン開催である。 コースは6740ヤード、パー72という設... 詳しく見る
第18回日本オープンゴルフ選手権(1953年) 2022.09.21 1953年10月8日付読売新聞 小野光一(孫士均)が2年ぶりに制す 大会は10月5~7日、兵庫の宝塚コース(宝塚GC、パー70)で行われた。91人(プロ68人、アマチュア23人)が参加した。 第1日に首位に立ったのは、霞ケ関所属の関新三で、1オーバー71。快晴のコンディションにもかかわらず、アンダーパーが出ていないので、難しいセッティングだったとうかがえる。1打差で孫士均、石井廸夫がつけた。読売新聞では、地元宝塚の古賀春... 詳しく見る
第17回日本オープンゴルフ選手権(1952年) 2022.09.05 1952年10月11日付報知新聞 大会新記録で中村寅吉が11打差の圧勝 終戦から7年が経った1952(昭和27)年、4月にサンフランシスコ講和条約の発効によりGHQ(連合国軍総司令部)が廃止された。これにより、GHQに接収されていたゴルフ場の接収解除が進んでいく。静岡県の川奈ホテルゴルフコースも接収が解除され、一般営業を再開。10月には日本オープンが行われた。 舞台は富士コースである。10月8日の初日は時々雨が降る中で行われ... 詳しく見る
第16回日本オープンゴルフ選手権(1951年) 2022.08.22 ゴルフマンスリー誌1952年1月号 小野光一(孫士均)が初優勝 戦後2回目となった大会は、10月3、4日の両日、兵庫の鳴尾GC猪名川コースで、79人が出場して1日36ホールの計72ホールで行われた。ゴルフマンスリー誌1952年1月号に詳しいので、引用していきたい。 話題になったのが、北海道から参加のアマチュア、米軍兵士で札幌に駐屯してたハリスのプレーで、最後まで優勝争いを演じて、第1回の赤星六郎以来のアマ優勝を日本の... 詳しく見る