第70回日本プロゴルフ選手権(2002年) 2018.08.13 5月20日付スポーツニッポン紙 自分でもびっくりの久保谷の優勝 奈良・KOMACC(7048ヤード、パー72)での大会。コース難度を緩めて「バーディー合戦」を演出するはずが、そうはいかなかった。大会期間中は強風が吹くなど天候の試練に選手たちは苦しみ、最後に笑ったのはショットメーカーの久保谷健一だった。 コース設定の責任者だった倉本昌弘が大会前「4日間15アンダーもありうる」と話していたが、初日から「我慢大会」になる。... 詳しく見る
第4回日本女子プロゴルフ選手権(1971年) 2018.07.17 1971年7月26日付スポーツニッポン 再開直後のチャージで樋口が4連覇 1971(昭46)年、日本女子プロは4年目を迎え、規模は徐々に大きくなっていた。参加者は過去最多の46人。第1回大会で15万円だった優勝賞金は50万円にまで増加した。 7月24日の初日、会場の貞宝CC(6575ヤード、パー74=愛知県)は前夜からの雨でティーショットがほとんど転がらない状態。ただでさえ長いコースが一層長く感じられた。 27ホールをプレー... 詳しく見る
第69回日本プロゴルフ選手権(2001年) 2018.07.09 優勝トロフィーを掲げるディーン・ウィルソン(日本プロゴルフ協会50年史より) 日系4世のウィルソンが初出場で優勝の快挙 21世紀最初の日本プロは四半世紀ぶりの九州開催となった。会場は福岡県のザ・クィーンズヒルGC(7002ヤード、パー71)。うねりの大きいグリーンは固く、速く仕上げられ、選手たちの前に立ちはだかった。 初日、アンダーパーをマークしたのは10人だけ。3アンダー、68で回ったディーン・ウィルソン、久保谷健一、東聡、謝錦昇の4人が首位に並んだ。東は前年、初日から... 詳しく見る
第21回日本女子プロゴルフ選手権(1988年) 2018.06.18 優勝トロフィーを掲げる大迫たつ子(写真提供:スポーツニッポン新聞社) 混戦を制し、大迫が「通算50勝」のメモリアルV 1988(昭和63)年は女子ツアーにとってひとつの節目となったシーズンである。それぞれのトーナメントが独自に設定していた出場者数や賞金額などに協会側が明確な基準を設ける、いわゆる「ツアー制度」が施行されたのである。賞金シードも整備され、賞金ランキング40位(現在は50位)以内の選手に翌年の出場権が与えられるようになった。 ツアー元年の日本女子プロは兵庫県... 詳しく見る