第24回日本オープンゴルフ選手権(1959年) 2022.12.26 1959年10月2日付日刊スポーツ 史上初のプレーオフ、日本留学中の陳清波が初優勝 日本オープンは1927年第1回から72ホールのストローク・プレー(当時メダル・プレー)で行われてきた。プレーオフは最終ラウンド翌日に18ホールで争うことになっていた。史上初めてプレーオフになったのがこの年だった。 9月28日から3日間、神奈川・相模原GC(7255ヤード、パー74)で、プロ87人、アマ50人が参加して行われた。日刊スポーツ紙によると、コー... 詳しく見る
第23回日本オープンゴルフ選手権(1958年) 2022.12.12 1958年10月31日付日刊スポーツ マッチレースを制して中村寅吉が大会3勝目 1957(昭和32)年10月のカナダカップにおいて団体、個人で「世界一」に輝いた中村寅吉の勢いは翌1958(昭和33)年になっても続いていた。産経招待、関東オープン、日本プロと次々にトーナメントを制し、第一人者としての存在感は増すばかりだった。 10月28日、中村はこの年の4勝目を狙うべく日本オープンに挑んだ。会場は千葉県の鷹之台カンツリー倶楽部(710... 詳しく見る
第22回日本オープンゴルフ選手権(1957年) 2022.11.18 1957年9月21日付日刊スポーツ 「那須の神様」小針春芳が中村、林らを退けて初優勝 この年10月、カナダ・カップ(現ワールド・カップ)が日本で初めて開催された。埼玉・霞ケ関CCで行われ、中村寅吉、小野光一がチーム優勝、中村は個人も制した。日本に一大ゴルフブームを巻き起こした年になった。 その1カ月前、9月17~19日、愛知・愛知CC東山コースで日本オープンが開催された、7055ヤード、パー74の設定、プロ77人、アマ17人(プロ73人、... 詳しく見る
第21回日本オープンゴルフ選手権(1956年) 2022.10.31 1956年9月21日付日刊スポーツ 連日のコースレコードで寅さんが8打差圧勝 1956(昭和31)年の日本オープンは国際色豊かな大会となった。フィリピンからセレスティーノ・ツゴット、ベン・アルダの2人、ハワイから3人のプロが参戦したのだ。 日刊スポーツは大会前日の紙面で「外国選手が曲者」と見出しを立て「日本選手には見られない豪快なショットを見せていた」と海外勢が練習でロングドライブを連発する様子を報じている。その一方で慣れない高麗... 詳しく見る