第42回日本プロゴルフ選手権(1974年) 2015.09.07 1974年8月19日付スポーツニッポン 尾崎が青木の年間グランドスラムを阻止する完全優勝 「AO対決」が鮮明になった大会になった。前年覇者の青木功はこの年、関東オープン、関東プロを制し、これに勝てば1年で公式戦4つを取る「年間グランドスラム」(当時)に王手をかける戦いだった。これを阻止したのが、尾崎将司だった。 賞金総額1350万円、優勝賞金200万円、宮城・表蔵王国際GC(6832ヤード、パー72)で行われた第1日。トップに立ったのが尾崎だ... 詳しく見る
第2回日本プロゴルフ選手権(1927年) 2015.08.03 1927年7月11日付大阪毎日新聞 初代チャンピオンとの激闘を制した中上数一 元号が昭和となって7カ月余り、1927(昭和2)年7月9日に第2回日本プロが開催された。会場は前回と同じ大阪府の茨木CC(パー69)。第1回大会は茨木、舞子、甲南、鳴尾の関西4倶楽部が主催で大会創設を主導した大阪毎日新聞社が後援という形だったが、第2回大会からは大阪毎日新聞社が主催に立場を変えている。 参加者は前回より2人増えて8人。2年連続出場となる宮... 詳しく見る
第36回日本プロゴルフ選手権(1968年) 2015.07.06 1968年9月9日付日刊スポーツ 72ホール目の決着、島田幸作が激戦制し初優勝 24歳、関西期待の新鋭、島田幸作が全国デビューを果たした。 大会は千葉県の習志野CCキングコース(7022ヤード、パー72)で開催された。ラフが20センチ以上伸ばされ、小さいグリーンのコース。ショットの正確性が求められ、大会前から「狭いコースに慣れている関西勢が有利」と見られていた。 第1日、首位に立ったのは小川貞雄。「飛ばないけど、あまり曲げないのが... 詳しく見る
第23回日本プロゴルフ選手権(1955年) 2015.06.01 1955年5月28日付スポーツニッポン “4度目の正直”でつかんだプロ日本一の座 1926(大正15)年に始まった日本プロは第5回大会まではストロークプレーで行われ、第6回大会からマッチプレーに切り替わった。戦後は1949(昭和24)年の復興第1回大会こそストロークプレーだったが、翌1950年からは再びマッチプレーへと移行している。 復興第1回大会の優勝者は林由郎、2位は2打差で小野光一だった。マッチプレーとなった1950年大会も林が... 詳しく見る