第51回日本プロゴルフ選手権(1983年) 2016.11.07 1983年8月1日付日刊スポーツ 中嶋がAO振り切り、6年ぶりV 「AON時代」と呼ばれた1980年代。その中で、82年に初めての賞金王となり「AO時代」に割って入った中嶋常幸(当時登録名中島常幸)に一番勢いがあった。この年、中嶋はさらに輝きを増し、その地位を固めていく。 梅雨明けしたばかりの新潟・紫雲GC(6407メートル、パー72)で行われた第1日。中嶋はスタートから飛び出す。アウトを6バーディーの30で回り、イン... 詳しく見る
第24回日本プロゴルフ選手権(1956年) 2016.10.03 大会3勝目を飾った林由郎。左は所属先である我孫子GCの先輩・山本増二郎プロ(写真提供:日本プロゴルフ協会) 林由郎が横綱相撲で3度目の栄冠 終戦から11年、1956(昭31)年の日本プロは愛知県の名古屋GC和合C(パー70)で開催された。戦後、中部地区で日本と名のつくビッグイベントが行われるのは初めてのことだった。参加選手は66人。初日は翌日からのマッチプレーに進む16人を選ぶ36ホールストロークプレーの予選が行われた。予選1位のメダリストに輝いたのは茨木CC所属の寺本金一。1打差2位に島村祐... 詳しく見る
第55回日本プロゴルフ選手権(1987年) 2016.09.05 1987年7月27日付報知新聞 外国人選手への門戸開放初年度、イシイが勝った 外国人選手に門戸を開放した大会で、勝ったのは米国ハワイから日本ツアーに参戦しているデビッド・イシイだった。 日本プロゴルフ協会は、1988年シーズンから賞金シード選手を前年賞金ランク40位以内から60位以内に拡大することに伴い、賞金ランクに含まれる外国人選手にもこの年から日本プロへの出場を認めた。前年86年賞金ランク40位以内だった4選手が参加した。 ... 詳しく見る
第28回日本プロゴルフ選手権(1960年) 2016.08.01 優勝カップを持つ棚網良平(日本プロゴルフ協会50年史より) 最後のマッチプレー王者は伏兵・棚網 1960(昭和35)年の日本プロは鹿島灘に面した大洗GC(茨城県、7200ヤード、パー72)で行われた。この国内有数の難コースで日本と名のつく大試合が開催されるのは初めてのことだった。 大会初日は5月23日の月曜日。快晴弱風の好コンディションに恵まれる中、93選手が翌日からのマッチプレーに進める16枠をかけて36ホールのストロークプレーを行った。トップで... 詳しく見る