第11回日本オープンゴルフ選手権(1938年) 2022.06.13 林萬福のティーショット(ゴルフドム1938年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) 台湾出身・林萬福が日本オープン初優勝 戦争の影響で姿を消してしまった名コースがいくつかある。神奈川県の藤沢CCもそのひとつ。赤星四郎、六郎兄弟らの手によって設計され、1932(昭和7)年に18ホールが完成したが、1943(昭和18)年に海軍に接収されて閉鎖となってしまった。 その藤沢CCで日本オープンが開催されたのが1938(昭和13)年のことである。パーはアウト36、イン37の計73という... 詳しく見る
第10回日本オープンゴルフ選手権(1937年) 2022.05.30 ゴルフドム1937年7月号(日本ゴルフ協会所蔵) 台湾プロゴルフのパイオニア陳清水が初制覇 この年の会場は、1931年開場の神奈川・相模コース(相模カンツリー倶楽部)で、6月3~5日の開催だった。6621ヤード、パー73に設定され、ゴルフドム誌1937年7月号によると、コースの設計者赤星六郎がティーマークからピンの切り方、芝の刈り方などのコースセッティングすべてを指示したという。「世話役」と呼ばれていたが、今でいうとトーナメントディレクターのよう... 詳しく見る
第9回日本オープンゴルフ選手権(1936年) 2022.05.16 優勝した宮本留吉のアイアンショット(ゴルフドム1936年12月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) 混戦を制して宮本留吉が5度目の優勝 兵庫県川西市に位置する鳴尾ゴルフ倶楽部は創立100年を超える、我が国でも有数の歴史を誇る倶楽部である。現在の場所に移転したのは1930(昭和5)年。猪名川コースと呼ばれるこの場所で初めて日本オープンが行われたのは1936(昭和11)年のことだった。 距離は6704ヤードでパーは70とゴルフ誌のゴルフドムに記されている。鳴尾の資料によれば開場時の距離は65... 詳しく見る
第8回日本オープンゴルフ選手権(1935年) 2022.04.27 ゴルフドム1935年11月号(日本ゴルフ協会所蔵) 宮本がコース記録で逆転し、4度目の日本一 1934年に広野GCで開催予定だったが、関西地方を未曾有の風水害が襲い、大会が中止となったため、2年ぶりの開催になった。ゴルフドム誌1935年11月号には「その間に、プロの渡米遠征あり、国産ボールのデビューあり等して新興ゴルフ日本の躍進を物語る事実が多々あり、選手権競技に参加者が増えた」と記されている。 大会は、1932年に駒沢から移転した東京ゴルフ倶楽... 詳しく見る