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日本オープンゴルフ選手権

第12回日本オープンゴルフ選手権(1939年)

2022.06.27
ゴルフドム1939年7月号(日本ゴルフ協会所蔵) ゴルフドム1939年7月号(日本ゴルフ協会所蔵)

26歳戸田藤一郎が初の日本一に輝く

 廣野ゴルフ俱楽部で6月7~9日の3日間、開催された。ゴルフドム誌にその模様が詳しく書かれている。「本年度のオープンの感想」を寄稿したのは高畑誠一氏だった。この年は選手として出場していなかったようだ。高畑氏によると「秋に挙行されるのが慣例であるが、晩秋にティーとフェアウエーを荒らされると芝草の回復が不可能で、会員に次年度初夏まで不愉快と迷惑をかける恐れが多分...

第11回日本オープンゴルフ選手権(1938年)

2022.06.13
林萬福のティーショット(ゴルフドム1938年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) 林萬福のティーショット(ゴルフドム1938年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)

台湾出身・林萬福が日本オープン初優勝

 戦争の影響で姿を消してしまった名コースがいくつかある。神奈川県の藤沢CCもそのひとつ。赤星四郎、六郎兄弟らの手によって設計され、1932(昭和7)年に18ホールが完成したが、1943(昭和18)年に海軍に接収されて閉鎖となってしまった。  その藤沢CCで日本オープンが開催されたのが1938(昭和13)年のことである。パーはアウト36、イン37の計73という...

第10回日本オープンゴルフ選手権(1937年)

2022.05.30
ゴルフドム1937年7月号(日本ゴルフ協会所蔵) ゴルフドム1937年7月号(日本ゴルフ協会所蔵)

台湾プロゴルフのパイオニア陳清水が初制覇

 この年の会場は、1931年開場の神奈川・相模コース(相模カンツリー倶楽部)で、6月3~5日の開催だった。6621ヤード、パー73に設定され、ゴルフドム誌1937年7月号によると、コースの設計者赤星六郎がティーマークからピンの切り方、芝の刈り方などのコースセッティングすべてを指示したという。「世話役」と呼ばれていたが、今でいうとトーナメントディレクターのよう...

第9回日本オープンゴルフ選手権(1936年)

2022.05.16
優勝した宮本留吉のアイアンショット(ゴルフドム1936年12月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) 優勝した宮本留吉のアイアンショット(ゴルフドム1936年12月号=日本ゴルフ協会所蔵=より)

混戦を制して宮本留吉が5度目の優勝

 兵庫県川西市に位置する鳴尾ゴルフ倶楽部は創立100年を超える、我が国でも有数の歴史を誇る倶楽部である。現在の場所に移転したのは1930(昭和5)年。猪名川コースと呼ばれるこの場所で初めて日本オープンが行われたのは1936(昭和11)年のことだった。  距離は6704ヤードでパーは70とゴルフ誌のゴルフドムに記されている。鳴尾の資料によれば開場時の距離は65...
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