第51回日本オープンゴルフ選手権(1986年)
2024.02.13
大会史上3人目の連覇を飾った中嶋常幸(アサヒゴルフより)
AOを2位に従え、中嶋常幸が大会史上3人目の連覇を達成
3人合わせた勝利数は国内外で200を軽く超え、賞金王は計21回にのぼる。日本プロゴルフ界に偉大な足跡を残してきた青木功、尾崎将司、中嶋常幸のいわゆるAONがそろって日本オープンの大舞台で火花を散らしたのが1986(昭和61)年のことだった。会場は神奈川県の戸塚カントリー倶楽部西コース(7066ヤード、パー72)。前年覇者の中嶋(当時の登録名は中島)は海外遠征帰りで体調を崩し、練習ラウンドができないまま本番を迎えていた。それでも初日は2アンダーの70をマークして2打差4位の好位置につけた。
68で回って首位に立ったのは倉本昌弘。1打差で尾崎直道と石井裕士が続く。ジャンボこと尾崎将は71で9位。青木は8番ティーイングエリア付近でパットの練習をしたことが競技特別規則違反となり2罰打を受けて74で37位と出遅れた。
痛恨のミスを青木は2日目に、この日ベストスコアタイの68で取り返す。通算2アンダーとしてジャンボらと並ぶ4位にまで順位を上げた。首位は通算7アンダーの尾崎直。中嶋はスコアを1つ落とし、通算1アンダーの11位に後退した。
大会史上初めて中学生で出場した米倉和良は決勝ラウンドに進むことはできなかった。
雨で気温が急落した3日目、各選手が苦戦した。尾崎直は1番の1打目をいきなりOBするなど76。それでも通算3アンダーで何とか首位は守った。
青木と中嶋はパープレーの72と粘った。結果、青木は中村通と並ぶ1打差2位に、中嶋は2打差4位に浮上してきた。ジャンボは3つスコアを落として迎えた18番で10m以上のバーディーパットをねじ込んで3打差8位に踏みとどまった。
1万人を超える観客が詰めかけた最終日、首位の尾崎直が崩れ、AONがじわりとスコアを伸ばしていく。この3人のさらに上を行ったのが尾崎3兄弟の次男・健夫だ。13番からの4連続バーディーで一気に単独首位に躍り出た。だが、17、18番で連続ボギー。通算2アンダーの4位に終わった。
代わって首位に出たのは中嶋だ。16番でバーディーを奪って通算4アンダーとした。その直後、AONの中では一番前の組でプレーするジャンボが18番で5mを決めてバーディー。中嶋に1打差に迫ってホールアウトした。
最終組の青木も負けてはいない。17番で1.5mにつけてバーディー。こちらも中嶋に1打差に詰め寄った。
中嶋の18番、カラーからパターでの3打目はピンに当たって30cmに止まった。これを沈めて通算4アンダーで終了。この時点でジャンボの優勝はなくなった。
最終組の青木は18番2打目を手前6mに乗せた。だが、プレーオフをかけたバーディーパットはカップに沈まなかった。結果的には初日の2罰打が大きく響いての2位だった。
大会連覇を成し遂げた中嶋は「AOとの競り合いの中で勝てて、きょうの勝利は特別な意味があると思う」(スポーツニッポン紙より)と喜びをかみしめた。日本オープンの連覇は宮本留吉(1929~30年、1935~36年)、セベ・バレステロス(1977~78年)に続く3人目の快挙となった。
(文責・宮井善一)
プロフィル
中嶋常幸(なかじま・つねゆき)1954(昭和29)年10月20日生まれ、群馬県出身。73年に日本アマを当時最年少の18歳で制し、75年にプロ入り。76年の初優勝を皮切りに通算48勝を挙げ、賞金王は4回(82、83、85、86年)。日本オープンをはじめ日本と名のつくタイトルをアマチュアからシニアまでただ1人7つ制している。2018年度日本プロゴルフ殿堂入り。
第51回日本オープンゴルフ選手権
順位 | 選手名 | Total | Round |
---|---|---|---|
1 | 中島 常幸(美津濃) | 284 | = 70 73 72 69 |
2T | 尾崎 将司(日東興業) 青木 功(日本電建) |
285 | = 71 71 74 69 = 74 68 72 71 |
4T | 尾崎 健夫(日東興業) 磯村 芳幸(大甲賀) |
286 | = 73 73 71 69 = 70 72 75 69 |
6 | 石井 裕士(日本ライン) | 287 | = 69 71 75 72 |
7T | 倉本 昌弘(土佐) 尾崎 直道(日東興業) 湯原 信光(フリー) |
288 | = 68 74 78 68 = 69 68 76 75 = 72 70 73 73 |
10T | 中村 通(サントリー) 山本 義隆(レナウン) 陳 志忠(台湾) |
289 | = 70 70 74 75 = 76 72 72 69 = 72 70 73 74 |
参加者数 148名(アマ26名)