第12回日本プロゴルフ選手権(1937年) 2019.01.15 1937年9月17日付大阪毎日新聞 予選最下位からの戴冠。伏兵・上堅岩一が初優勝 1937(昭和12)年7月、盧溝橋事件に端を発して日中は戦争状態に入った。ゴルフ界にも大きな影響があり、浅見緑蔵が招集を受けた。浅見にとって2度目のことだった。よって9月13日から千葉県の鷹之台CC(パー74)で行われたこの年の日本プロに浅見は出場していない。前年、同CC開催の関東プロを制していた優勝候補が舞台にすら立てなかった。2年前の日本プロ覇者・戸田... 詳しく見る
第82回日本プロゴルフ選手権(2014年) 2018.12.03 優勝トロフィーを掲げる手嶋多一(写真提供:日本プロゴルフ協会) 難コースで競り勝った手嶋が日本タイトル2冠達成 屈指の難コース、兵庫・ゴールデンバレーGCを制したのは手嶋多一だった。45歳7カ月23日での優勝は史上4番目の年長優勝(1位は尾崎将司49歳3カ月18日)となった。 大会を前にPGA倉本昌弘会長らがコースセッティングに関する会見を行った。「今回は日本プロ史上、最も広いフェアウエーになっていると思う。(自分の)プレーヤー目線で、選手たちが一番力を出せるコー... 詳しく見る
第7回日本プロゴルフ選手権(1932年) 2018.11.06 優勝したモンテス(右)と2位の森岡(ゴルフドム1932年11月号=日本ゴルフ協会所蔵=より) モンテスが大会史上初の外国人王者に輝く 1926(大正15)年に産声をあげた日本プロ。優勝者の顔ぶれは1931年までの6年間で宮本留吉と浅見緑蔵が2勝ずつ、中上数一、村木章が1勝というものだった。日本プロ創設の翌年に始まった日本オープンでも同時期に宮本と浅見が2勝。黎明期のタイトルは宮本、浅見の2人で分け合うような状況だった。この2人に優勝こそないものの両大会で2位が計4回という安田幸吉を加えた... 詳しく見る
第81回日本プロゴルフ選手権(2013年) 2018.10.10 優勝トロフィーを掲げる金亨成(写真提供:日本プロゴルフ協会) 松山まさか・・・金亨成9打差逆転優勝 松山英樹が、まさかの逆転負けで初出場初優勝を逃した。金亨成(韓国)が通算5アンダーでツアータイ記録の9打差逆転で韓国勢として2人目のタイトルを手中にした。 第1日、5アンダー66で呉阿順(中国)が首位に立った。松山は1打差の2位と好発進した。「練習場では全然当たらなかったのに、コースに行ったら当たるようになった。自分でもびっくり。ラッキーということで」と... 詳しく見る