日本プロゴルフ殿堂

偉業を称え、未来を拓く。ゴルフから

日本プロゴルフ殿堂入り式典

Japan Professional Golf Hall of Fame

日本のプロゴルフ界に偉大な功績を残し、多くの人々に感動を与えた先人に対して、感謝と敬意を表する
「日本プロゴルフ殿堂」の記念式典です。

式典第七回

第七回 日本プロゴルフ殿堂入りプロゴルファー発表第七回日本プロゴルフ殿堂入り式典

第七回 日本プロゴルフ殿堂入り
プロゴルファー顕彰

「第7回日本プロゴルフ殿堂入り式典」が3月22日、神奈川・パシフィコ横浜で開催している「ジャパンゴルフフェア」のイベントステージで行われた。主に1972年以前に活躍した選手への「レジェンド部門」では佐藤精一と小林法子、主に1973年以降に活躍したプレーヤーへの「プレーヤー部門」では、中嶋常幸、森口祐子が選出され、それぞれに顕彰状とクリスタルトロフィーが贈られた。(敬称略)

あいさつに立った松井功理事長は、列席した日本プロゴルフ殿堂正会員、賛助会員に感謝し、顕彰者4人の功績を紹介した。続いて、来賓の日本ゴルフ協会・永田圭司副会長が顕彰者4人に祝福の言葉を送った。会場には、顕彰者ごとの作成された紹介映像が流され、関係者はもとより、ゴルフフェアに訪れた一般のゴルフファンがステージを囲むように集まり、顕彰者に大きな拍手を送った。

まず壇上に上がったのは、小林法子。女子プロ1期生で、73年に日本女子オープンなど通算9勝。87年那須小川レディスでは42歳で当時の最年長優勝記録を樹立している。日本女子プロ協会の役員としても手腕を振るい、08年からは副会長として樋口久子会長を補佐した。顕彰プレゼンターは既に殿堂入りしている樋口久子・日本プロゴルフ殿堂理事。2人とも満面の笑みをたたえる。

小林は「ご縁のない賞と思っていましたのでびっくりしました。責任をもって行動していきたい」とあいさつ。「40人弱で始まった女子プロゴルフが今1100人。これからはいかに世界で活躍できる選手を送り出せるか。足踏みする状況になったらお手伝いしたい」と若々しい。樋口理事は「アメリカツアーに行っていろいろなものを日本に取り入れた。私が会長の時に片腕としてやっていただき、感謝しています」と振り返っていた。

佐藤は18歳で茨城・我孫子GCに入り、23歳の1955年にプロとなった。66年、ホームコースの千葉・袖ケ浦CCで行われた日本オープンを制し、70年には日本プロに勝って史上9人目の両タイトル保持者となった。プレゼンターは、我孫子GCの後輩で、日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長の青木功・日本プロゴルフ殿堂副理事長。大先輩を気遣いながら、顕彰状とクリスタルトロフィーを授与した。

佐藤は「殿堂入りを聞いて一番に思い出したのは駆け出しのころのことでした。夢も希望もあって一生懸命練習しました。私の時は年4試合しかありませんでしたが、試合数が増えてきたときに青木や尾崎(将司)と余計なのが出てきて、シニアになって試合が増えたら金井(清一、第6回殿堂入り)が全部もうけた。ゴールドシニア(68歳以上)になってようやく私の時代が来た」と話し、会場を笑わせた。青木副理事長は「面倒見がいいが怖かった。こうやっていられるのは幸せなんだよ」と、大先輩の肩や背中をさすりながら祝福した。

森口は岐阜・岐阜関CCで井上清次プロに師事。20歳の75年にプロテストに合格。日本女子プロ、日本女子オープン、LPGAレディーボーデンカップの公式戦3冠など通算41勝。84年に結婚、長男、長女の出産でツアーを離れる時期がありながらも18勝が母親になってからという「ママさんプレーヤー」の先駆けとなった。プレゼンターは樋口理事。にこやかに授与された。

森口は「感激です。師匠から『お前は樋口を倒す気があるのか、日本一になる気はあるのか』と聞かれて『はい、倒します』と言って入門しました。樋口さんという大きな目標がなければできなかった」と感謝した。また、臨席した夫の関谷均さんほか家族に感謝し「家族の支えてもらえたのが最高の幸せ」と話した。樋口理事は「ママとしては私にとって森口さんが目標でした。出産してから18勝、本人の努力が大事だったと思います」とたたえた。

最後に壇上に上がったのが中嶋。プレゼンターの青木副理事長と抱き合った。父巌氏の英才教育の下で18歳で日本アマを制し、プロ入り後は日本オープン、プロ、シリーズ、マッチプレーの日本タイトル4冠、シニアでも日本プロ、オープンと前人未到の日本タイトル7冠を達成した。80~90年代、尾崎将を加えた「AON」の激闘は、ゴルフファンだけではなく多くの人の心をとらえた。AN両雄がともに喜び合う感動的なシーンだった。中嶋は「この知らせを聞いた時はほんとにうれしかった。よき先輩がいて、競い合えた。青木さん、ジャンボと戦った日本オープンはじめ、忘れられません」とあいさつ。「横浜といえば50年前、父に反発して家出して、早朝の山下公園で船を見ていた。どの船に乗れば米国に行けるのだろうか、米国でゴルフをするんだと」と秘話も披露。最後に「いい時も悪い時も支えてくれた家族、なにより家内(律子夫人)にこの賞をささげたい」と、家族への感謝を口にした。

青木副理事長は、1987年の有馬ロイヤルでの日本オープンで、1打リードして18番の1メートルのパーパットを入れ、グリーンサイドで見ていた2位中嶋に向かって右こぶしを突き出したシーンを述懐。「ラインの向こうで中嶋がこっちを見ている。よーし、入れてやると。勝負は勝った方の天下。激しい試合をやったよ。中嶋のおかげでゴルフを長く続けられたと思っています」とライバルをたたえた。

式典後、パシフィコ横浜内で顕彰者や家族、会員らが集まってパーティーが行われた。祝辞を述べた島村宜伸・日本プロスポーツ協会会長は「改めてゴルフの歴史はすごいと思います。(今回の顕彰者は)素晴らしい顔ぶれ。みなさんのプロフィールを頭に入れてきましたが、1つだけ、佐藤さんのお言葉から。日本オープンで勝たれたとき、表彰式で日本ゴルフ協会会長の石井光次郎さんが、プレゼンターを佐藤さんが育った我孫子GCの岡田信次理事長に譲ったそうで、佐藤さんが感激された。まさにスポーツマンシップと感じ入った次第です」と話した。乾杯では日本プロゴルフ協会会長の倉本昌弘副理事長が「私が勝手にライバルと思っている中嶋さん、同じ年の森口さんが顕彰されますと、私もそろそろかなと」と笑わせ「今日はアットホームないい式典だった」とあいさつした。顕彰者を囲んで、会員らが和気あいあいと過ごした。 顕彰者らの往年の秘話も披露され、中嶋が「ある時、佐藤さんにスイングがおかしいから来いといわれて行きましたよね」と振ると、佐藤は「一番いい時のスイングを知っていたから。悪い時はバンカーショットをやれって、我孫子で林さん(由郎、第1回顕彰者)に教えられたなあ」と述懐。小林が女子プロツアー初期の時代を振り返りながら、「何か趣味を持とう」と樋口理事に麻雀を教えたが「ゴルフの時はあんなに怖い目なのに、麻雀では全然怖くなくて」と言いながら樋口理事と麻雀談義で会場を笑わせた。

最後に日本女子プロゴルフ協会会長の小林浩美副理事長があいさつ。「きょうは面白くて充実した、ためになる話をいっぱい聞けました。プレースタイル、性格、信念が出ていました。後輩としてみなさんの後を追いかけていきます」と締めくくった。

第七回 日本プロゴルフ殿堂入り顕彰者のご紹介

式典第七回フォトギャラリー

第七回日本プロゴルフ殿堂入り式典