第40回日本プロゴルフ選手権(1972年) 2016.01.04 1972年10月23日付報知新聞 「夜逃げ」でゴルフ界入りした苦労人、金井が初優勝 尾崎将司の2連覇へ期待が集まる中、勝ったのは当時珍しかったサラリーマンからの転身プロ、金井清一だった。 会場は、千葉・紫CCすみれコース(7070ヤード、パー72)。尾崎にとっては、プロ入り後初の月例会にデビューしたコースでもあった。距離のあるパー4が多く、尾崎は「通算8アンダーが優勝ライン」と予想していた。 初日、首位に立ったのはベテランの松田司郎。... 詳しく見る
第10回日本プロゴルフ選手権(1935年) 2015.12.07 1935年10月27日付東京日日新聞 圧勝に次ぐ圧勝で頂点に立った20歳の若武者 わずか6人で始まった日本プロは第10回の節目となった1935(昭和10)年には出場者が50人にまで増えていた。我が国にプロゴルファーという職業が確実に根付いてきたことを示す数字である。 会場は神奈川県の相模CC(パー73)。大会初日の10月23日は36ホールのストーロクプレーによる予選が行われ、上位16人が翌日からのマッチプレーに駒を進めた。 トップ通... 詳しく見る
第62回日本プロゴルフ選手権(1994年) 2015.11.02 1994年5月16日付スポーツニッポン 無名合田が涙の初V、バンカーからパターで脱出 この年、記憶に残るプレーが生まれた。 舞台は岐阜・レイクグリーンGC(7138ヤード、パー71)。最終日最終ホール、バンカーからパターで脱出した合田洋のプレーは、いまもゴルフファンの記憶に焼きついている。 初日、首位に立ったのは合田。5アンダー66をマークして「アイアンショットの距離、方向ともとてもよかった」と、報知新聞は伝えている。ツアー未勝利、無名... 詳しく見る
第4回日本プロゴルフ選手権(1929年) 2015.10.05 六実リンクスの風景。右端のパッティングしている選手が宮本留吉(ゴルフドムより) 大会初のパープレーで決めた大差V 第1回大会から36ホールストロークプレーで行われていた日本プロは1929(昭和4)年の第4回大会から72ホールストロークプレー(2日間競技)へと競技方法を変更した。会場は千葉県の六実リンクス。初の関東開催となった。 六実リンクスは戦時中に閉鎖され、現存しない。東京都内にあった武蔵野CCが会員増加などによって手狭になったために千葉県松戸市に移転してつくった... 詳しく見る