第3回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1977年) 2020.11.02 優勝カップを掲げる橘田規(アサヒゴルフ1977年8月号より) 43歳の橘田規が復活Vで日本3冠を達成 1973(昭和48)年に賞金ランキングが整備されて以降、青木功、村上隆、尾崎将司の3人が上位を分ける年が続いていた。1976(昭和51)年は1位が青木、2位が村上、3位尾崎という順番。この年は22歳の中嶋常幸が初勝利を挙げるなど、新しい力も台頭してきた。 一方で1960年代に圧倒的な存在感を誇っていた橘田規や杉本英世、河野高明といったビッグネームが衰え、... 詳しく見る
第2回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1976年) 2020.10.19 ショットを打つ吉川一雄(右)を見守る新井規矩雄(写真はアサヒゴルフ1976年8月号より) 戸田藤一郎の弟子、吉川一雄が初の日本タイトル 神奈川・戸塚C西コース(6483ヤード、パー72)で行われた。 予選は136人が出場し、36ホールストローク・プレーの上位32人が決勝ラウンドのマッチプレーに進出した。 大会2日目の予選最終ラウンドは激戦。予選順位で、マッチプレーの組み合わせが決定する。1位(メダリスト)は、通算3アンダーで並んだ内田繁と野口英雄がプレーオフで、内田となった。通算1オー... 詳しく見る
第1回日本プロゴルフマッチプレー選手権(1975年) 2020.10.05 Vサインで初代チャンピオンの喜びを表す村上隆(週刊アサヒゴルフ1975.6.5号より) 初代マッチプレー王者は村上隆 マッチプレーはゴルフの原点といわれている。古(いにしえ)の英国ではプレーヤーたちが主にマッチプレーでゴルフを楽しんでいたからだ。日本では戦前に創設された日本プロと関東プロ、関西プロはストロークプレーの予選を勝ち上がった選手たちが1対1で競うトーナメント形式のマッチプレーで頂点を争っていた。だが、関東プロは1960(昭和35)年から、日本プロと関西プロは19... 詳しく見る
第87回日本プロゴルフ選手権(2019年) 2020.08.18 優勝トロフィーを掲げる石川遼(写真提供:日本プロゴルフ協会) 石川遼、劇的プレーオフ制し初優勝 鹿児島・いぶすきGC開聞コース(7212/7150ヤード、パー70/71)で行なわれた大会は、豪雨によって大会前にスケジュールを変更する事態になった。活発な梅雨前線によって、大会直前に鹿児島県が自衛隊に災害要請し、指宿市には避難勧告が出されて、7月2日のプロアマ大会は中止。「人命の安全とトーナメントを開催できる状況は別である」とのPGAの判断により「予選第... 詳しく見る